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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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第10回現代日本彫刻展
新段階の挑戦へ

著者名:河北 倫明


  このたび、「第10回現代日本彫刻展」がひらかれるが、10回というのは一つの大きな区切りである。この展覧会はビエンナーレ形式であるから、10回ということは20年ということになる。こまかく計算すれば、10回の前に2回の前座にあたる野外彫刻展の催しがあったから、その最初の行事が行われた1961年から数えると、今年ですでに満22年を経過している。俗な言い方をすれば、ふた昔を経たこの彫刻展が、その間に芽を出し、少年期をすぎ、壮年期のさかりを経過、さらに成熟してやがて次の新芽を期待する時期に入るべきことは当然の推移を考えてよいであろう。戦後以来のすべての動向が、総決算的反省を迫られつつある現代、この分野でも当然そのような視点があってよいのではないかと思われる。ことに、この野外彫刻の分野で輝かしい先駆的役割をつとめてきた宇部の彫刻コンクールが、今日また新しい勇気をもって次の展望を開いていくべき秋を迎えつつあることを、ひそかに予感せずにはいられない。これまでのさまざまな条件が、実際上徐々に変りつつあり、この面でも次の模索を必要としているのが現状といってよい。

  さて、一昨年の第9回展は、実質上の満20年に当ったことから「緑の町と彫刻」というテーマをかかげ、併せてこの年が宇部市制60周年にも重なったことから、わが国はじめての「21世紀の都市デザインを考える全国シンポジウム・ひろばと緑と彫刻と」という大企画が実行された。確かにこれはこの分野における画期的な催しであった。その内容は今春刊行された報告書「ひろばと緑と彫刻と」の中に悉しいが、この行事が宇部市がきっかけとなって展開した野外彫刻運動の影響とひろがり、その全国的な波紋に伴う新しい胎動現象の数々を興味深く浮彫にし、きわめて意義多いものだったことは衆目の見るとおりであろう。

  このシンポジウムは、宇部市と毎日新聞社の共催によるものであったが、さらに建設省、自治省、文化庁、山口県等の後援、宇部興産K.K.の協力も得て実施され、新しい地方都市の魅力ある課題を討議するものだっただけに、北海道から沖縄までの自冶体、民間をふくむ約500名の参加を見た。それに都市工学、建築、デザイン、美術、彫刻等々の各分野にわたる一流の人材を交えての貴重な機会であったから、これまで打出された野外彫刻に関する重要な課題と現点が予想以上に鮮明に浮び、今後の動きに好参考を提供することになった。戦後以来、くりひろげられた野外彫刻運動の一つの総まとめがここに提示されたといってよい。そこに表われた貴重な指標を軸として、日本の野外彫刻は一つの決算期に入ったと見ることができる。そして、今その反省の上に次の歩みが初まるべき新段階が訪れかけている。私どもとしては、退去の実績に浮かれることなく、次の問題に挑戦すべき地点にさしかかったことを自覚しなければならない。

  その反省のための資料ともなる過去12回の展覧会の正確な記録が、今回弦田さんの手によってカタログに付けられることになっており、御覧になれば、おのずからこの20年をこえる運動の歴史と展望が得られることになろう。その間に生じた人の面、物の面、傾向内容の面での変化は、まことに予想以上のものがあったし、そこには思わぬ時流の抑揚と興奮も感じられた。また、その間を貫いて流れる作家や関係者等の情熱、意欲、希望、哀歓などのふくらみも裏打ちされてゆたかに滲み出ている、大げさにいえば、いまや野外彫刻界そのものが、社会現象の中の歴然たる文化動向として位置を確立してきた事実は見落すことのできない壮観としなければならない。故土方定一さんはじめ草創期の先入たちの先見性と情熱と労苦とは、いくら讃えてもよい功績というべきであろう。それだけに、その仕事を受けて立つ私どもはただ漫然とジリ貧に陥ちては相すまない立場に立っている。

  とはいうものの、現況は前述のように一つの決算期に入っており、次の段階への出発期が重なってきている。いまここに、多少の展望をこころみてみると、制作のための特定テーマを設けることになった第3回からの動向は、その時その時の目標をテーマに打ち出したという意味からも、興味ある推移を示している。第3回の '69年は「3つの素材による現代彫刻-ステンレス・スティール、アルミニウム、プラスティックス」、次の '71年が「強化プラスティックによる」といったもので、野外彫刻が以前にはなかった新素材を導入し、現代的表現の新しい可能性を開拓することが目標におかれた。つまり、この頃における工業枝術の急速な開発と躍進が背後にあって、彫刻の新展開を促したのである。これは単に素材だけの問題ではない。素材の変化にともなう発想内容の変化がさらに重要である。図式化していえば工業化時代の思考と感覚が現代彫刻の背景を激しく揺ったわけで、このあたりから新しい素材と思考にふさわしい抽象彫刻が野外彫刻の主流の座をしめていく経過がうかがわれよう。ちょうど '70年は大阪万国博の年に当ったから、経済高度成長の決算期にも当って、抽象的野外彫刻の在りようがいっそうひろく一般化したことになる。

  以上が野外彫刻の第1期とすると、次の10年間は第1期の動向を基礎として種々の工夫が加えられた時期に当たる。 '73年には「形と色」、 '75年には「彫刻のモニュマン性」、 '77年には「現代彫刻の抽象と具象」といったテーマが出ているが、これは発芽期から新素材時代を通過した上で、彫刻としての本質をもう一度見直そうとする観点が隠されていたとも受けとれる。一本調子な野外抽象彫刻の汎濫の中に、不足する何かを求める気配ともいえようか。 '79年の「彫刻の中のポエジー」といっテーマは、彫刻の中にさらに内容を求め、乾からびた表現に何か生気を待望したいという気持のあらわれでもあったようである。

  以上を第2期とすれば、前回 '81年の「緑の町と彫刻」は、そうした内容や目標の中に、ただ単なる造形上の要件だけでなく、また個人的な趣味や詩情の味つけだけでなく、もっと現実的な生活空間、人々とつながりのある社会的な場における彫刻の意議を改めて見直すことを待望するようなテーマである。上述した「21世紀の都市デザインを考える全国シンポジウム」が、このテーマと同じような「ひろばと緑と彫刻と」という副題をもって開かれたことも、野外彫刻の問題点がこのへんに絞られてきたことの証処といえるだろう。そういう流れの中でとられると、今回の「人間讃歌」というテーマも、決して単なる偶然とはいえない。その根底には在来の野外彫刻に対する何か大きな要望、今まで実現されなかったものに対する一種の渇望と憧憬の心理が働いているといってもよい。そうした意味でいえば、まさに野外彫刻決算期の動きは、シンポジウムの頃にはじまり、今回あたりから次の胎動が起ってくるべき大切な地点に至っているといえよう。もちろん、目に見えて何かすぐ起るかどうかは分らない。しかし、すべてのことは徐々に目にみえない動きの中で発生し成長していく。第1期、第2期につぐ第3期の時代が今やおそらくどこかで動き始めているものと私などは推察しているわけである。

  先般、私はたまたま最近刊行された「世界の広場と彫刻」という立派な図録をみて、世界のすぐれた野外彫刻の作例が、さすがに何らかの意味で、大きい人間的願望に答える中味をそなえていることに感心したが、この本の論考の一つで、ピエール・シュナイダー氏が次のようなことを述べている一節に興味をもった。

  「日常の生活の場に美術作品を受け容れるための条件は、美術館に作品を収蔵する場合の条件とは根本的に異なる。......美術館は"芸術の消費者"に対して注視の態度を強要する。それに対して、街の中では作品と通行人との間に、部分的で、瞬間的な、あるいは何度も繰り返されながら意識にのぼらないような様々な関係が成立する。理解するためには我々の意識的な注視が必要であるが、受容するためには、無意識の楽しむ眼が必要である。......」

  要するに彼が言おうとしたのは、むかし親しく大衆と共にあった芸術が、生活の必要から離れて独自の美的目的を追求するようになったとき、特定の人々や専門家のためのものとなってしまった。そして、ついには美術館という特殊な場所が作られるようになってしまったという歴史的な事実のようである。こうした状況を変更させるところに街中におく芸術の真の立場があるということらしい。これは大へん重要な着眼であり、野外彫刻や街の中の彫刻に眼を向けている私どもへの鋭い頂門の一針といってよい。

  私どもは、野外彫刻運動を、彫刻を美術家のアトリエや展覧会の中から社会の場へ引き戻すこととしてやってきたが、この課題の根本には美術そのものを大衆の生活とともにあった古い時代の在り方に返し、その上に新しい工夫をするというところがなければならない。「緑の中の彫刻」といい「人間讃歌」というテーマや目標にしても、それがもつ意味や願望を深く探っていけば、シュナイダー氏が言っているような課題が自然にからんでくると思われる。事はとても簡単にはすまない容易ならぬ難関である。しかし、第3期の私どもが挑戦しなければならない課題は、まさにこの難関とかかわっている。智慧のある人は智慧を出し、腕のある人は腕をふるい、また金のある人は金を、力のある人は力を出して、ひとつこの難関に正直にぶつかって見ようではないか。皆さん、そうは思いませんか。