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第11回現代日本彫刻展
第11回現代日本彫刻展に思う

著者名:加藤 貞雄


  素材の種類の多さ、表現形式の多様さが増すにつれて、彫刻はますますおもしろくなってきた。ハイ・テク時代を迎え、新しい科学技術の導入も試みられ、彫刻という概念自体は大きく変わりつつある。彫刻というより、立体造形と呼ぶ方がふさわしいという考え方もあって、写実的な具象彫刻をも含めて、環境や杜会とのつながりの中での、新しい概念が作られようとしている。彫刻と呼ぼうが、立体造形といおうが、彫刻、ことに野外や公共空間における彫刻の果たす役割りは、今日、まことに大きいものがあって、一般の関心も高い。

  ビエンナーレ形式で開かれ、こんど第11回展を迎える現代日本彫刻展が、こうして彫刻への関心の高まり、理解の深まりに寄与し、後から始まった神戸市や箱根の、同種のコンクールなどとともに大きな成果を上げていることは、現代彫刻の展開の上で、重大な意義を持っている。昭和36年に開催された宇部市野外彫刻展から数えると通算13回。29年にもわたってこの文化事業を継続してきた宇部市の見識と努力は現実に実っているのである。

  このコンクールが始まったころは、まだ彫刻は一般にはほとんどなじみの薄いものだった。常盤公園に集った前衛的作品の高い芸術性、作家たちの強烈な創作意欲と、一般の彫刻への認識との間にずれがあり、まだ、特種の"わからないもの""奇妙なもの"とみる空気が支配的だった。そんなころに、美術の中心である東京から遠く離れた宇部で、現代彫刻の実験的な試みと取組んだこのコンクールが始められた先見性は賛えられていい。

  敗戦の混乱、炭坑の不況、市民の心の荒廃の中で起こった「町を彫刻で飾る運動」を母体に、広い道路の建設、植樹とともに、都市計画の中心に"彫刻都市"のビジョンを明確に貫いてきた宇部市は、まさに、今日、さまざまな都市で起こっている彫刻を核とする環境作りのパイオニアである。しかも、人口から見ても、決して大きくはない都市である宇部市が、行政上も軽くはない財政的な負担を負いつづけて、いまも他に範を垂れている。

  4年前の、第9回現代日本彫刻展を機会に催された、展覧会のテーマ「ひろばと緑と彫刻と」をメーンテーマとした「21世紀の都市デザインを考える全国シンポジウム」は、その宇部市が放った大ヒットであった。彫刻家、行政の専門家、都市工学、都市計画のプランナー、建築家、デザイナーらが全国から集り、一般市民も参加して2日間、みっちりとフリーな討論が行われたこのシンポジウムは、公共空間と彫刻のかかわり、問題点について始めての本格的な討議の場であった。ここで論じられたさまざまな問題は、その後、自治体や企業が、彫刻を設置するに際しての大きな指針になっている。なによりも意義があるのは、全国の白治体や関係者だけでなく、一般に公共彫刻に対する関心を高めた点にあると思う。

  このシンボジウムは、私にとっても思い出多いものである。なかでも、ひろば、緑、彫刻をつなぐ論理が戦わされたパネル討論で、彫刻公害論がとび出したり、彫刻の芸術性と社会性が論じられたりしたのに対し、彫刻家の向井良吉氏が作家の立場から激しく反論したのがもっとも印象深い。氏は、シンポジウムのパネラーとしてただ一人の彫刻家であり、従ってこの場で発言できない多くの彫刻家を代弁する気持ちもあってか、あえて作家の心情を語ったのである。作る側が公共性など考えたら彫刻など出来ないとし「彫刻は理屈で作るものではなく、身体の中に脈打っている血の流れが自然に作らせるものだ」といい切った。これは彫刻がただ町やひろばを飾るものとしての扱いしか受けていないのではないかという作家のいらだちを物語るものであり、公共の空間に彫刻を"置く"側が心しなければならない大事なことだと思った。

  作家の心情は心情として、しかし現実に公共空間は彫刻を求めており、作家、作品の選択は否応なく行われる。そこに大きな矛盾が感じられないわけではないが、まず、作品発表の場として、宇部市の常盤公園が存在すること、宇部市がコンクールを育てて今日に至ったことは厳然たる事実である。そして、このコンクールから育った作家が多勢いること、従って日本の彫刻界が宇部市に大きな恩恵をこうむっていることは否定できない。過去の出品作や受賞作のあれこれを思い返して、その豊かな収獲に、目を見張る思いである。しかも回を重ねるごとに、作品が野外彫刻らしさを増してきたという気がする。なんといっても、ここには作家たちのたくましい造形精神が、何の制約もなく、自由にはばたいている。それがいいのである。

  このコンクールは、周知のように、昭和40年の第1回展から46年の第4回展まで、招待作家だけで行われ、第5回展以降は、招待と公募の2本立になっている。ただ公募部門はあらかじめ模型による審査を行って入選作を選び、そのなかからさらに実物制作の作品を選ぶ。最終的には招待作品と実物制作の作品とで賞を競うのであるが、模型の入選作も会場内に展示される。全体で、今日の、実力の高い作家たちの意欲作と、若い作家たちの新しく、大胆な表現の作品を眺める場となるのである。だから、ここには、今日の野外の彫刻として考えられる作品の典型的なものが集まると考えていい。一時、招待作家の顔ぷれが固定しかけたので、招待作家を選ぶ段階で、できる限り重複を避ける配慮をするようになったこともあり、作品傾向はさらに多様になっている。

  今回の公募にふれると、この4月に東京で行われた模型の審査には167人の227点の応募があり、36点が入選、そのなかから10人の10点が実物制作となった。この予選に集った作品は素材も表現も実にさまざまで、何度も投票したり、1点1点について論義したりして、かなり白熱するのが常であり、今回も例にもれなかった。結局、実物制作となった10人のうち半数は、このコンクールや現代日本美術展などのコンクールで実績のある作家となったが、野外における安全性、メンテナンスなどへの配慮から、実物は遠慮してもらった入選作も少なくなかった。そういう点では、経験豊かな作家たちが勝負強いということができるかもしれない。私としては、堀越陽子さんの薄い金属板の輪によるシンプルな作品は、実物で見せてもらいたいという思いを捨てきれないでいる。

  全体としていえることは、野外の彫刻ということをはっきり意識した作品が多いことである。かつて、美術館の中に置く作品をただ大きくして野外に出したら野外彫刻になると思っているような作品が少なくなかったのと比べると相当な様変わりである。これは前回のコンクールで、大賞を争った岩城信嘉さんの「風の譜」と大成浩さんの「風の影No.6」の2つの石の作品はじめ、野外ならではの作品がそろったことと考え合わせると、このコンクールの大きな成果に上げることができよう。

  しかし、問題がないわけではない。四半世紀になろうとする歴史を経て、野外彫刻そのものにも、コンクールのあり方にも、最初には考えられなかったさまざまな不自由が生じている。あるいはそれは当然のことかもしれない。土方定一先生の指導で、この野外彫刻の運動がスタートしたころは、運動への情熱が全てを覆い、純粋に芸術性だけを追求することができた。しかし、経験を積み、同様のコンクールが生まれ、各地で公共彫刻が増えてくるにつれて、それだけではすまなくなってきたのだ。

  前回の第10回展を紹介した毎日新聞の特集記事はそのあたりにふれ「もちろん、野外彫刻の未来は決してバラ色ではない。自然の生態系との共存、都市空間との調和、さらに屋外展示につきものの管理維持の問題など、越えねばならないハードルは幾つも残っている」と書いた。また、コンクールに出品された作品のなかには、展覧会の会期を終えると、納まるべき場所を持たないものが多いという現実にも目を向けねばならない。せっかく日本の野外彫刻がここまで伸びてきたのに、そのことを思うと残念でならない。

  側面から見れば、このコンクールは、出品作家の大きな負担の上で成り立っているといえる。野外彫刻はかかる費用が馬鹿にならない。素材や仕上げに元手をかければかけるほどそれなりの効果があるので、作家としては惜しんではいられない。作品には補助金が出され、運賃は主催者が負担し、賞金も若干増えてはいるが、実際問題として、ほとんどの作品が賞金を得ても、制作費に及ぶまい。招待作家に選ばれても、公募の実物制作になっても、資金の上で、作家は相当の覚悟が必要なのである。それでも、作家たちは何とか工面してコンクールにいどむ。損得抜きで、向井氏のいう「身体の中に脈打っている血の流れ」がそうさせるのであろうか。そういう作品の多くが、会期終了後は、空しく作家の手元に眠るのである。

  コンクールに買上げ賞を出している美術館にもジレンマがある。それぞれの美術館は収蔵方針にもとづいて買上げているのだが、すでに相当数の作品を持つようになっていて、スケールの大きい野外彫刻は収納や設置に困るところもあるし、予算の関係で、金額を大きく増やせないという事情もある。最近では、コンクールは一発勝負だから、賞は賞とし、実際に引取るのは同じ作家に別の作品を依頼するという考え方も出てきた。それも便法だろうが、これでは肝心の受賞作が行き場を失なう。

  このような現実を、いったいどうしたらいいのであろうか。作家が、いい作品を作ることだけに打込めるための手助けを、高い次元からみんなで考える時が来ていると思う。それも現代日本彫刻展の歩みが、そこまで彫刻と社会とを近づけたたまものといえよう。

(毎日新聞論説委員)