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第12回現代日本彫刻展
第12回展に際しての感想

著者名:河北 倫明


  第12回のいわゆる宇部彫刻ビエンナーレ展が「太陽讃歌」のテーマのもとに開催されることになった。前回の「風土と彫刻」というテーマとどのように違った風趣を呈してくるか、実際はあまり変化がないものかどうか、そのあたりのことを興味をもって注目しながら私は開会を楽しみにしている。

  今回の展覧会要綱の冒頭に、故土方定一委員長が1963年の第1回コンクールのときに述べた次の言葉が掲げられている。

  「野外の明るい光線の下に立っている彫刻の魅惑は忘れがたい。そこでは彫刻のひろがり(あるいはフォルム)は明るい光線によってきざまれた明暗の中で明るく笑うようであり、彫刻のもっている量塊(ボリューム)は大きな自然空間の中ではじめて息づく感がある。そして、ひろがりと量塊の関係に彫刻の造型はかかっているから、野外の明るい光線の中で、彫刻ははじめて生物のように活気にみちてくる。」

  こうしてみると、「太陽讃歌」のテーマは、いわば野外彫刻の原点というものに、もう一度素直に立ってみようということなのかもしれない。

  ところで、このあざやかな土方提言に発足した宇部野外彫刻展の歴史もやがて四半紀を迎えるわけであるが、この間に彫刻展の内外にわたって多少の状況の変化があらわれ、このあたりで原点における反省を、もう少しきめこまかに深めるべき地点にさしかかったとの感想も禁じ得ない。

  一般論として、野外彫刻がこの宇部における現代彫刻展を度切りに日本社会に芽を吹き、根をひろげ、時代の経済高度成長、工業開発の進展、都市文化の伸張などと歩度を合せながら、全国的に着実に浸透していったことは衆目の見るとおりである。この動向の輝かしい先鞭をつけた宇部市当局、関係有識者たちの功績はもはや歴史的評価の定まったものというべく、故土方委員長をはじめ草創期の星出寿雄市長、岩城次郎氏、なお健在な上田芳江女史等の諸先達には幾重にも感謝したいところである。しかしそうした諸先達の理想と善意を受けつぐためにも、時代の変化、条件の移りゆきには十分の気配りがなければならない。新しく発生してくる難点に対しては、関係者全員で知恵と力を合せながら対処していくべきであろう。

  そうした現象の一つかもしれないが、近来、毎度運営委員会で話題を賑わす美術館賞の問題がある。この問題はおのずから、野外彫刻展の歴史的な状況の推移とからむものであるから、必要なところだけを申しのべてみると、問題はやはり彫刻展出発の頃の諸条件から出ている。

  もともと美術館賞を最初に設定したのは、この彫刻展を美術界において名目上にも権威あるものとし、さらには全国的な注目度の高いものにしようと計った土方委員長が、それにはやはり国立近代美術館の賞を加えることが有効と判断したあたりに初まる。ちょうど、その頃東京の国立近代美術館に勤務していた私は、それ以前の毎日現代展での場合と同様、土方氏の要望に応じて美術館賞を出して秀作を購入する制度に踏み切った。そしてこれが次第に回を重ねて慣習化する気配となり、やがてまたそれが京都の国立近美や国立国際美術館あたりまで拡がっていったのである。もちろん、そのほか有力公立美術館も足並みを揃え、たがいに彫刻展の主力賞の周辺を賑やかにしたのである。

  この方式は、野外彫刻展発足の頃から次第に定着度を高めた昭和40年代、50年代にかけて若干の課題をはらみながらも、初期の効果を発揮していったことは明らかな事実だと思う。土方委員長の狙いと方式はみごとに実を結んでいったというべきであろう。もちろん、その効果のほどは今日といえども失われてはいないはずである。

  けれども、昭和50年代末あたりから、少しづつそこに問題の影があらわになりかけてきた。国立美術館が野外彫刻の普及と力づけに応援の役目を果すこと自体は大へん意義のあることであったし、貴重なことにちがいないが、これは野外彫刻が今日のように全国的に存在権を明確にし、もはや啓蒙普及応援の意味が草創時代ほどでなくなってきたときには、以前と全く同じというわけにいかない。まして行革の声がひろがる時代の国立機関は以前とちがって、だんだん厳しい立場に追いこまれている。

  これをもう一つ別の面からみると、美術館賞というのは購入予算にもとずく購入事業の一つであるから、賞となった作品は美術館に入れて保存しなければならないことになる。しかし周知のように、どの美術館も一部の館を除いては、とくに野外彫刻を設置すべき余裕ある空間を持っていない。つまり、賞を出して購入しても使いようがない状況が今日では次第に普通となっているのである。広い地域や空間を用意して新設される新美術館の場合はともかくとして、古くなった美術館であればあるほど、野外彫刻の設置場所に苦しむのは当然である。

  そこで美術館賞によって野外彫刻を取得する美術館は、進んで新しい空間を作り出す工夫をこころみるか、在来とは別のところに設置する計画を立てるか、あるいは既存の美術館の館内にはめこめる程度のものに限定するかである。それでも見通しが立たぬとなれば、賞は賞として、購入については作者の出品作でない別の陳列可能の作品をとるか、そうした臨機応変の処置が必要となってくる。つまり、美術館賞がそのまま優れた野外彫刻作品にすっぽりとあてはまる場合は、むしろ例外の場合といったことにもなりかねない、性急に結論づければ、野外彫刻展に美術館賞が名実ともに意義をもった草創時代はすでに通りすぎているというのが実状とすべきかもしれない。

  ではこのような現状をどう乗りこえていくべきであろうか。一般に野外彫刻のコンクールにおいて、優秀な作品を提出した作家を世間に顕彰するということは大切な基本の仕事である。授賞などしないで展示品として公園等で公衆に見せるだけでよいという考えもあり得るが、野外彫刻のような大きな制作品となれば、やはりどこか現実の空間に設置するところまでにお世話することが要望される。そのためには、やはり賞によって次々と設置の手順に組みこんでいくことが期待されるし、賞や賞金による顕彰がそのための有効な手順であることはいうまでもない。まして、美術館賞には、そうした実際的な手順の一つという以上に、優秀な作家を社会に顕彰するいわば勲章的な役目が附随している。とすれば、宇部彫刻コンクールとともに四半世紀を閲してきた歴史ある美術館賞を、すでに過去のものとして葬ることは無責任の謗りを免れないであろう。これをどのように脱皮させ、さらに意義のあるものとして生気づけるか、今日さまざまな角度から検討すべきところに来たというのが実状のようである。

  ここでは、いま特に美術館賞の問題を狙上にのせたが、これほどではないにしても、時代の推移、状況の変化とともに考え直してみるべき事態は他にも幾つかあるであろう。「太陽讃歌」という原点に戻るテーマの第12回現代日本彫刻に際して、虚心に将来への方策を思いやることも当事者の任務だと私は思っている。忌憚ない諸賢の御教示をお願いしたいものである。