メニュー

ときわ公園

logo

ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館
HOME > ときわミュージアム > 彫刻エッセイ > 彫刻のなかのポエジーということ

第8回現代日本彫刻展
彫刻のなかのポエジーということ

著者名:土方 定一


  われわれは、しばしば、彫刻、または、絵画作品を見ているとき、文学的な、あるいば詩的な作品であると感ずることがある。これは、いうまでもなく、その彫刻、あるいは絵画作品の造形のもっている、あるアトモスフェアから文学的、あるいは、詩的と感ずるにちがいない。そういう作品から発散する心理的アトモスフェアを、作家がそのアトモスフェアだけを意識しているかは、疑問であって、作家にとっては、そういうアトモスフェアではなく、造形の構築を目的としていることはいうまでもない。

  彫刻家であり、詩人であった高村光太郎(1883-1956)は、自己の詩について、次のように語ったことがある。

  「私は自分の彫刻を護るために詩を書いてゐる。自分の彫刻を純粋であらしめるため、彫刻に他の分子の夾雑して来るのを防ぐために、彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである。私には多分に彫刻の範囲を逸した表現上の欲望が内在してゐて、これを如何とも為がたい。......この愚劣な彫刻の病気に気づいた私は、その頃つひに短歌を書くことによって自分の彫刻を護らうと思ふに至った。......かういふわけで私の詩は自分では自分にとっての一つの安全弁であると思ってゐる。......余技などといふものではない。」

  高村光太郎は、ここで「この愚劣な彫刻の病気」といっているのは、やはり、彫刻の造形から発散するアトモスフェア、あるいは文学的主題を語っていると思われる。といって、自己について語って倦まなかった高村光太郎は、これ以上のことを彫刻と詩について語ってはいない。だが、問題は、彫刻の造形性とそこから発散する詩的な雰囲気との混同をいましめているのではないか、とぼくは想像する。というのは、高村光太郎は、ヨーロッバに行く前の、美術学校卒業制作に、「獅子孔」(明治35年)とか、「薄命児」(明治38年)のような感傷的な文学的アトモスフェアしかもっていない作品を制作していることを思うと、高村光太郎のなかで、「彫刻を文学から独立せしめるために詩を書く」ということが、かえって、高村光太郎の彫刻を逆に自己制限したように、ぼくには思われる。高村光太郎について、語る場所ではないが、高村光太郎の、いわば、造形主義ともいうべきものが、高村光太郎の想像力を狭小にしている例を挙げることはできる。というのは、彫刻造形から自然に発散する心理的なアトモスフェアは、いい彫刻の属性であるとぼくには思われるからである。

 
  ここで高村光太郎からはなれて、彫刻造形と、それが発散する心理的な関係を少しばかり具体的に、作家について考えてみよう。

  彫刻家の創造の根源が、彫刻家の想像力にあることはいうまでもないが、この想像力の内容は、多様な重層をもっている。たとえば、1919年に自殺した、ドイツの彫刻家、ウィルヘルム・レンブルック(1881-1919)は、その作品自体が、ゴシック的なプロポーションをもった、抒情的な作品を制作しているが、かれが当時の世評から非難を受けた「倒れた人」(1915~16年)という戦争記念碑は、まったく非英雄的で、また、深い思想をもった作品であり、レンブルックは、ある詩のなかで、同じ思想を、次のように表現している。

 
誰が残っている
誰が生きて立つのだ虐殺の記念碑か
誰が血の海から起き上がったのだ
ぼくは切り株の野を横切って進む
そしてあたりを見回す収獲が広げられていないかと
恐しい殺戮の二番刈りが広げられていないかと
友はぼくの行く道に至る所で安らかに横たわる
兄弟たちはもうぼくの傍らにいない
そして信頼と希望はぼくから逢か遠くに隔てられた
どの道もどの花も死が覆ってしまったから
おお運命よ!おお一千借の残酷な運命よ!
これほど多くの人々に死を許したおまえに
ぼくの死はもうないのか
1918年1月

 
  また、アンリ・ローランス(1885-1954)は、フランスが、ドイツに占領された暗い日に、精神的な激しい衝撃を受け、その心理的な衝撃を、「ラデュー(談別)」(1914年、パリ近代美術館)のような、これまでのきびしい構築をもった彫刻とまったく異なった、崩壊の劇的な象徴のような彫刻を制作している。レンブルック、また、ローランスの例のように、彫刻家の想像力のなかの心理的な内容が、作品として制作される例をここで挙げている。だが、レンブルックは、彫刻家の構築のきびしさを次のように語っている。

  「すべての芸術は、広がりである。――それが芸術のすべてである。広がりは、人体では、プロポーションが印象を決定する。効果は、身体的な表現であり、線、輪郭が、すべてである。したがって、いい彫刻は、建築が広がりに広がりが応えているように、いいコンポジションをもたなければならない。」

  レンブルック、あるいはローランスのように、彫刻家の想像力のなかの心理的内容が、その背後にきびしい造形酌なメカニズムをもち、その作品から発散する心理的なアトモスフェアが、さまざまな相貌で現われていることを語っている。

  また、たとえば、コンスタンティン・ブランクーシュ(1876-1957)を例にとってみると、ブランクーシュは、彫刻に意味深い詩的な名前をつけているばかりでなく、ブランクーシュ自身が問題を次のように描写している。

  「鳥、それは、天の蒼弩を満たすために広がらねばならむような構築である。」

  ブランクーシュの想像力は、かれの彫刻造形を、ブランクーシュの神秘主義に応じて精神化し、それは、調和に満ちていると同時に、ときに幻想的である。

  この彫刻家の想像力は、シュールレアリスムの作家になると、その想像力は、一層、神秘的、あるいは、幻想的な内容となってくる。

  たとえば、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)の「午前四時の宮殿」(1932~33年、木、ガラス、ワイヤー、糸、ニューヨーク近代美術館)の例をとってみよう。

  ジャコメッティの作品のなかには、純粋な基礎的なフォルムがあり、たえず彫刻と空間との関係を示す言葉を探している。そして、その関係と、たえず自由に、幻想とが関連し合っている。そういう意味では、ジョアン・ミロ(1893- )、あるいは、ジャン・アルプ(1887-1966)の作品と同じように、不思議な空間関係のなかに、基礎的なフォルムが主要な要素となっている。ジャコメッティは、「午前四時の宮殿」について、次のように話している。

  「わたしは、空間のなかで回転する。わたしは、真昼に、空間を瞑想する。そして、わたしのまわりの流動する銀色を横切る星たちを瞑想する。......いくども、わたしは、わたしを喜ばせ、その超現実のなかに生きているコンポジションに心を奪われる。それは、美しい宮殿、わたしの足もとの、黒、白、赤のタイルを敷かれた床、数多くの束ね柱、微笑している空気の天井、なんの役にも立たない精密なメカニズム。」(1933年)

  このように、シュールレアリストたちの想像力は幻想的な空間のなかの自由な発想をもち、ジャコメッティにかぎらず、ミロにしろ、アルプにしろ、それぞれのフォルムから発散するアトモスフェアは、さまざまな相貌を示している。

  彫刻のなかのポエジーについていう場合に、彫刻自体の必然的な自由で緊密な構築(フォルム)をもちながら、そこから発散するアトモスフェアは、ポエジーといっていいものである。だが、彫刻家の想像力の背後に、広い意味の文学的な想像力が、多くの場合、支配している。たとえば、アンリ・ローランスの想像力のなかにギリシア神話が背景となっており、ヘンリー・ムアが、丘陵の穴の神秘を語り、ブランクーシュが、いつもその背後に神秘な世界観をもっているように、文学的、詩的な想像力が、創造の背後にあることはいうまでもない。

 (追記)作家の言葉の引用は Carola Giedion-Welcker:Contemporary Sculpture に拠っている。

(日本美術館企画協議会長)