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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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『宇部の彫刻』
宇部と彫刻に想う

著者名:嘉門 安雄


 戦争で徹底的に破壊されたオランダのロッテルダム市は、その復興と再建に当たって、1954年、まず市の中心広場に、それまでの、いわゆる記念像などとはおよそ異なるザッキン作の「破壊のための記念碑」を設置した。そして、それを中核にして街づくりをはじめたことは、戦後と言うか、20世紀後半の彫刻理念と展開の新たな、しかも力強い門出の象徴であり、成果であった。

 環境芸術としての彫刻、都市美の中の彫刻が改めて意識され、彫刻が屋外に新生命を見出したのである。

 そして、わが国――

 東京オリンピックの前年、1963年である。神奈川県真鶴海岸で、現地採掘の安山岩を使い、現地で制作の「世界近代彫刻日本シンポジウム」が開催された。招かれた彫刻家は、海外から6名、国内から6名の12名。いずれも石の作家として高く評価されていた人たちである。

 完成した作品はオリンピック会場を飾るのが主目的であったが、恐らく、わが国における大規模な、本格的な野外彫刻展の一つのありかたと、都市美の中の彫刻を、はっきりと意識させた記念すべき制作であり、展示であったと言えよう。

 一方、それ以前にも1957年から隔年に、つまりビエンナーレ方式で開催された神奈川県立近代美術館の「野外彫刻展」も、彫刻の新しい展開の意欲的な試みであり、ここから活気に満ちた新人もあらわれた。

 そして、ある意味でこれを引き継ぎ、拡大したのが、これまた、ロッテルダム同様、戦禍の中からの立ち上がりを求めていた宇部市である。1961年の「宇部市野外彫刻展」に始まり、63年には「全国彫刻コンクール応募展」となり、さらに65年には「現代日本彫刻展」と名称を改めて、第15回展を迎える今日につづいている。いや、たんにつづいているだけではない。その後、国内各地で企画され、開催される野外彫刻展や、野外彫刻のありかたそのものに多くの示唆を与え、また、みごとな成果をもたらしている。

 大ざっぱに過去の思い出をたどっていると、内外の作家を一つところで競わせた「世界近代彫刻日本シンポジウム」と、招待のほかに応募による入選を加えた、宇部の「全国彫刻コンクール応募展」の開催された1963年は、わが国現代彫刻のその後の展開にとって、特に都市美の中の彫刻にとって、一つの道標を示してくれた記念すべき年であったことに、改めて気づくのである。

 私が初めて見た宇部の彫刻展は、この「全国彫刻コンクール応募展」である。61年の「宇部市野外彫刻展」のときも土方氏から誘われたが、その夏は公私ともに雑用に追われて、とうとう東京を一歩も離れなかった。それだけに、63年展は、直接関与した真鶴の国際展との違いを確かめたいとの気持もあって、早々に出かけた。

 じつは私にとって、はじめての宇部市である。暦の上では秋だが、残暑のきびしい宇部の街は、乾いて、ひっそりしていた。表通りを一歩裏に入ると、石炭ガラが妙に気になる。あろ、そうだったのか――噂に、話にきいてはいたが、この街にうるおいを与えようとの希望と卓見が、野外彫刻展の開催、街に彫刻を......との熱意として実ったのである。実際に宇部に、はじめて降り立って、それが実感として私にも理解された。

 その後、1年置きの開催ごとに訪れるのが、一つの楽しみとなり、スケジュールとなった。そしてやがて、直接参加、と言うか、関与するようにもなったが、そうなればなったで、また違った眼、違った気持で、この彫刻展の成果を眺めることもできる。開始以来一貫して、と言うより、いよいよ強固に足元を、成果を固めようとする主催者側の信念と実行力に、改めて敬意を表するとともに、これまでの成果を、より活気に満ちたものにするための見直しの時期に来ているのでは、との想いも、ここ2,3年来、しきりに浮ぶ。

 もちろん、私など敢えて口出しするまでもなく、開設以来、この野外彫刻展の会場として多くの名作、佳作とともに呼吸してきた常盤公園――宇部市野外彫刻美術館の整備も、実現の段階を迎えている。そして、街にある作品にしても、再構成、再配置が慎重に配慮されているであろう。

 この作品はここにこそ相応しい。ここにこそ、設置する意味があり、環境芸術として活きると思って配置した作品も、街そのものが発展し、整備されてくると、とかく、折角の作品が片隅に押しやられた感じになり、活力を失い、協和音を奏でなくなる――そうした作品が絶無とは言えぬ。しかし、その作品を中核にして、街の、建物の形態を造り変えることが、環境の再整備が、現実には困難であり、不可能とすれば、結局、作品を移動するしかないであろう。と言って、何もかも、再整備された野外彫刻美術館にもっていっては、それこそ、せっかくの「宇部と彫刻」が活力を失ってしまう。

 
 そう、一昨年まで3年つづけて、正月を宇部の郊外で過ごすことが習慣づけられた。そして、これまた習慣のように、滞在の一日を市内の散策に当てる。おのずから公園をはじめ、各所に設置された彫刻との再会、再々会を求めて歩く。しかもその都度、新しい発見もある。作品が宇部の大地に根づいて活きているからである。三十余年に亘って、この宇部の野外彫刻展は多くの、素晴しい作家を生み出し、育て、そして成熟させてきた。いや、何よりも、現代彫刻のあるべき相を示してきた。

 「現代日木彫刻展」はこの名称で開設以来、記念すべき第15回展を迎えようとしている。私もまた、これまでの入賞の作品を(宇部以外にある作品も含めて)、できるだけ多く、改めて確認したいと思う――それは、たんなる懐古への感傷からではない。宇部に捧げる私の秘かな讃歌である。