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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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『宇部の彫刻』
行政を動かす市民運動

著者名:上田 芳江


 宇部市の彫刻設置運動がはじまって、30年の歳月を経過した。それと併行して隔年開催している現代日本彫刻展が、15回を重ねる、と聞かされて、わたくしの胸は熱くなった。

 「花と緑と彫刻の町」という美服をまとって、「町づくりのモデル」のような世評をうけているわが町は、市民の手で育てあげた「わが子」のように市民には思われるのである。

 子育ての困難を、人々は体験している。生活環境の整った家に生れた子どもであれば、時間と共に生長して行くのは当然のことであろうが、食物も完全に与えられない貧困の家庭に生れた子が社会人として立派に成人した姿を見る親の気持は、同じ困難の道を歩いた者には理解できるであろう。

 わたくしは、終戦の前年に一児の母になった。食べるものも、着るものもない時代の子育ては忘れられない経験であるが、いま、社会人として生活しているわが子の姿を見ると、苦しかった思い出は、よき体験学習であったと思いが変化するのである。それと共に、体験、行動することの大切さを学びとったと思うのである。

 わが町は、石炭を基盤とした鉱・工業都市として成長して来た町であったが、空爆で瓦礫の原になった。「炭坑の町というのにこの町にはボタ山がない」、外来者からよく聞く言葉であるが、そのボタ山を海に埋めて市民の手でつくりあげたのがこの町なのである。空爆で町は瓦礫の原になったが、地下資源は健在であった。そのため、外地からの引揚者、戦地からの復員者が再出発の場を求めてこの町に集った。新生活の場では必然的にトラブルが起きる。落ち着かない不安定な親たちの生活は子育ての問題と結びつく。青少年の非行が多くなり彼等は、集団をつくって他地域にまで出かける乱行がはじまった。

 この実態のなかで、「青少年の健全育成」を目標にして行政担当者は苦慮し、「自然環境の導入を町づくりの基本に」して「町づくり」をはじめたのである。戦後の市長は、7人の人が代っているが、歴代市長は一貫してこの目標を変えない。歴代市長は、町のなりたちの歴史を知っているからである。採炭現場から掘り出したボタ(廃土)を海に埋めて造った町に自然を導入して人間の住みよい環境をつくることが行政の大前提であることを知っていたからである。それを実行するには、政治と市民意識が一体となったとき成功するものであるということをきも肝に銘じていたのである。このことは、明治以後、この町の町づくりに起ち上がった人たちの共通の思いであった。仕事を為しとげるには3つの条件が必要である。その条件は、(1)に企画、(2)に行動、(3)に情報。企画は智恵。智恵は、様々な情報のなかで湧いて来る。行動は力。人と人との結びつきのなかで出来る。情報は、様々な立場の人の声のなかで学びとる。自分の体で学びとる。むつかしいことではないと思われる。

 何ごとをするにも、自分の好きな連中とだけでは出来ない。反対者の意見も情報。そうしたものを総合して目的に進むのがリーダーの仕事であろう。リーダーシップとはそうしたことを言うのであろうと、わたくしは思う。イエス・マンばかり集めたのでは争いごとはなくても、仕事は出来ないだろう。

 戦後の荒廃した町に樹を植え、花を咲かせ、彫刻までも根付かせた歴代市長は、リーダーとして立派であったことは違いないが、この仕事を授け、完成させた市民こそ、活動の主役であり、行動力であった。

 本州の西端、宇部の歴史を考えてみる。幕末、封建社会から近代社会に脱皮する時、日本歴史を書き替えた主役は、薩、長、土、肥といわれ、なかでも、山口県と鹿児島県の役割は大きかった。明治政府の創立時点では、両県が主要な地位を占めていたが、宇部村民だけは仲間に入れてもらえなかった。旧領主福原越後が蛤御門の変の責任を問われた余波で、宇部人の出京は許されなかったのである。

 人材の能力問題ではなかった。新時代になって実施された国造りで、鉄道も港も、交通網はすべて無視された。この現実のなかで、宇部人は、「自立」を自覚し、「相互扶助」の大切さに気がついた。頼るのはわが力だけ。

 それを行動に移すのは資金であるが、国からも県からも貰うことのできない資金の捻出をどうするか。市民の智恵は石炭に集まった。炭坑開発で得た利益を、関係者が分割配分しないで町の活性化に役立てる。その目的で、「共同議会」と称する経済団体をつくり、ここで管理した。ここに集まった資金の運用については、別に「達聡会」と称する文化組織をつくり、村民生活をうるおす事業の設置に利用する。その結果、銀行、病院、学校、郵便局、警察、裁判所、新聞社等々、市民生活に不可欠の施設を、衆智をあつめて建設した。

 この市民意識を、宇部モンローと呼び、排他意識と言う人もあるが、その言葉は当らないとわたくしは思う。自主精神、きざな言い方をすれば、パイオニア精神と言うのであろう。この町に住む市民が一丸となって行政に協力し、住みよい生活環境づくりに参加したのである。

 市民とは何か、の問いに、わたくしは答える。この町で生活している者すべて、と。企業も、商家も、農家も、給料生活者も、この町の空気を呼吸しているものすべてを市民という。それぞれの立場で、応分の協力をしながら、理想の町に近づいて行くのが官民一体の町づくり、つまり宇部方式とわたくしは言いたいのである。

 彫刻運動もその一つ。緑も花も育った。今度は彫刻で美的観賞眼を養う文化都市、など、大それた考えではじめたものではない。忙しい、忙しいと時間に追われて、うるおいもゆとりも失ってしまった現代人に、ゆとりの場を作ってほしかったのである。町の、そこにさりげなく置かれた彫刻の前に人は仔んでもらいたい。「これ、何だろう」「何でしょうな」こんな簡単な会話でもいいから、はじめて会う人々の口から洩れる。それだけでもよいと思う。コミュニケーションとは、むつかしい議論を闘わせることではない。昔の人は、道端に出来た茶店に腰かけて、渋茶をすすりながら、旅人連中で世間話(情報交換)をしていた。そのゆとりがなつかしい。

 ボタ山のない炭坑町が、いま、町全体を野外彫刻美術館にしている。ささやかな発想から出発したこの運動に大きい力を貸して下さった作家の先生方、この運動を守って下さっている運営委員の先生方に厚く御礼を申しあげます。