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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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『彫刻とのふれあい-宇部』 
宇部の彫刻

著者名:弦田 平八郎


  1955年の神武景気以来、わが国経済は急速に勢いをつけ、68年には日本の生産力が西ドイツを越して経済大国にのしあがり、いまや、アメリカをして、毎年累積するアメリカの貿易赤字が日本の所以だというほどの時期になってきました。
  敗戦後の日本国民が、自国の復興を願って懸命に働いてきた成果であったことはいうまでもありませんが、しかしそれには、大きな犠牲を払ってきたことも忘れてはなりません。
  熱病のようにつづけられてきた高度成長政策の蔭に、自然汚染や自然破壊が加速度的にはやまったこともそのひとつです。代りに、高速道路が一方的につくられ、システム技術の開発によって、単一化され画一化された、われわれに何の連想も与えない、うっとうしいだけの景観がつくられてきましたし、都市の包括的開発一辺倒のため、近隣の社会生活は蔑ろにされて人間疎外の感が深まり、次第に、うるおいと個性を失った都市が増えてきたのもそのひとつです。今日、都市の再開発、21世紀へ向けての新たな都市づくりの必要性、社会生活を根本から考え直す、アーバン・デザインにもとづく都市づくりの再計画が叫ばれているのは、このことへの反省にほかありません。
  昨年1981年10月に、21世紀の都市デザインを考える全国シンポジウム「ひろばと緑と彫刻と」が宇部市・毎日新聞社主催で、全国に先駆けて宇部市の文化会館で開催されたのは、その点、まことに時宜を得たものでありました。全国に先駆けてというのは、建築サイドの、あるいは都市計画サイドのといったシンポジウムはありましたが、人間心情の造形的所産である彫刻を街なかにおくことによって、さらにわれわれの生活空間を美しくし、都市に人間性を回復させようとする、もっと広い立場でのシンポジウムは、はじめてのことであったからです。限られた時間のため、また問題の重要さからいってもちろん結論の出ることはありませんでしたが、しかし、全国から集った、建築、都市工学、都市プラン、公園、環境緑地、彫刻、行政などの各関係者に、このことの重要性を改めてしらしめたことは、シンポジウム会場の緊迫した雰囲気からよく察しられました。
  その点宇部市は、早くからこのことの大事さに気づき、実践してきた栄与を担っているといってよいでしょう。
  というもの、敗戦直前、空襲で市街地のすべてを焼失してしまったといってよい宇部市が、他の都市よりも早く、当時の常識としては考えも及ばない路巾50メートルの主要道路をつくる都市再建に着手し、やがて、衣食住欠乏のときにもかかわらず、市民の共感を呼び起した市民ぐるみの緑化運動を推進し、さらに緑と花の街に、いち早く現代彫刻を結びつける運動を展開してきたからです。市民運動の基本に、人間心情の造形的所産である芸術作品に触れ合うことをおき、街づくりに心がけてきたからです。触れ合うこと、語り合うことが、いかに大切なことであるかはいまさらいうまでもありません。
  このような都市再建計画をすすめてきたのは、宇部市の星出寿雄市長(故人)、岩城次郎市立図書館長(故人)、現女性問題対策審議会長、緑化運動推進委員会上田芳江理事長、美術評論家の土方定一神奈川県立近代美術館長(故人)でしたが、それに建築家大高正人、彫刻家柳原義達、向井良機知各氏が全面的に協力、まず、広大な宇部市常盤公園を委員たち自らブルドーザーで整地しながら、16人の彫刻家に呼びかけ、59点の出品をみた野外彫刻展を開催したのでした。
  1961年のことでしたが、これを契機に、この運動は、星出市長につづく西田竹一市長(故人)、新田圭二市長、それに現二木秀夫市長と美術評論家の河北倫明京都国立近代美術館長ほか各運営委員たちの積極的な取り組みによって、いまなおつづけられているのです。つづけること、これほど大事なことはありません。
  つづけることによって、戦後のわが国の彫刻は、自由ではつらつとした野外空間のなかに息づくことができましたし、大衆の前に大きく姿を表わすこともできました。そればかりではありません。戦後の日本彫刻を大きく育てる場となりましたし、ここから世界に飛躍するすぐれた作家も育ちました。それこそ宇部は、現代作家たちの心のふるさととなっているに違いありません。
  そして、はじめての野外彫刻展がひらかれてから、また、街なかに彫刻が次々とおかれていってからすでに20年以上の月日が経っていますが、この20年の重みが、冒頭に述へた、人間らしくあるべき都市開発の必要性を全国に認識させた大きな意義を払ったのです。それを支えてきた宇部市民の方々の見識に、改めて敬意を表したいと思います。
 このたび、その成果をひと目で示すともいうべき作品図録が発刊される運びとなりましたことは、まことに嬉しい限りです。街なかの方々におかれているその内容をみせていただくと、実に充実したものとなりつつあることに改めて注目せざるを得ないのでした。
  注目した点は幾つかありますが、簡単に列記しますと、ひとつは、街なかにおかれているこれらの彫刻が、いずれもすぐれた作家たちのすぐれた作品であること、いまひとつは、これらを制作年順にみて歩くと、わが国近代彫刻の流れがよくわかるということです。例えば、明治以降のわが国近代彫刻の出発に当って重要な役割をもった明治、大正期の偉大な彫刻家、荻原守衛(碌山)、中原悌二郎、藤川勇造などの歴史に残る名作が含まれています。また、中原悌二郎の「若きカフカス人」の頭像をかつてみた小説家芥川龍之介が、この若者はまだ生きている、誰かこの若者に惚れる者はいないか、といつたように、永遠の生命をたたえた作品が、新川橋西緑地帯に行くとみられるということです。
  さらにもうひとつ、戦後の現代彫刻は、従来の石、木、ブロンズだけの素材から、ステンレス・ステイール、アルミニウム、鉄、真鋳、プラスティックス、ガラスなど巾広くひろげた彫刻をみることができますし、それらによって、対象を写実的に再現する戦前の生き方をはなれた現代彫刻の志向するさまざまの、具象的傾向であれ抽象的傾向であれ、多様な表現の内容を豊富にみることができることです。
  これらのことは、他の都市ではほとんどみることができません。それだけに宇部市の街なかでみられる彫刻たちは、心豊かに多くのことを語りかけてくれます。
  彫刻は、それ自体、必らず内に秘めたドラマをもっています。よい彫刻こそ、ひとびとをより感動させるドラマを秘めています。よい彫刻をよい環境のもとにおいた新鮮な空間は、そこにきてみるひとそのひとそのひとの心を、自由の境地に運んでくれます。彫刻と語りあうことによって、希望、愉しさ、誇り、和み、怖れ、ユーモア、時代感覚、現代の哲学などなど、さまざまなことを感受することができます。そればかりではなく、例えば少年期に遊んだ山やひろばや鎮守様が、あるいは、体験や想い出が、大人になっても折に触れふっと想い出されて心の支えとなるように、野外空間におかれた彫刻もまた、いつのまにか心に秘めてしまうそのような原風景ともなるものなのです。それだけに彫刻との触れあい、彫刻との語りあいは、密にしたいものなのです。
  長い歴史をもつ宇部市は、この触れあい、語りあいによって現代に至っているのです。またそうであったからこそ、彫刻家も、彫刻を街なかに設置してきた先人たちも報いられているのに違いありません。そしてみなさんは、さらにこのことの大事さを後人たちに伝えるべく、さらにこの上ともよい彫刻をえらんで街なかにおき、よりいっそう豊かな街づくりを、より豊かな文化を創造されるよう願つてやみません。