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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

『彫刻の町宇部』
図録によせて

著者名:上田 芳江


  今次の大戦で、市街地の三分の二を焦土にした宇部市は、市民総ぐるみで復興に起ちあがった。
  「緑と花の工業都」をキャッチフレーズにして町づくりに総力を結集したのである。行政が緑化にとり組んだのは昭和25年からであった。50米幅の幹線道路に街路樹を植えたのが出発であるが、一人の公園係職員が、失対労務者の協力を得て山から運んだ苗木を苗圃で育て、親指ほどの大きさにして植えて行ったものである。街路樹の下を埋める花壇は、子ども会、町内会の人びとが育てた。今日、街を覆う街路樹も、町のあちこちを飾る花壇も、こうした市民のエネルギーで育ったものである。花壇や、樹木の間に彫刻が欲しいと言いだしたのは、昭和36年のことである。緑化で自信をつけた市民は、再び彫刻を飾る運動にエネルギーを投入した。
  「緑の花と彫刻の町」は、市民運動のもたらした果実である。
  彫刻を宇部市に導入することは、苗木を育てたり、花を育てたりするようにはいかない。
  外からの人々の協力が必要であった。美術評論家の土方定一先生のご協力には感謝の言葉もない。実作をして下さった彫刻家の諸先生に深謝したい。土方先生は、彫刻のモニュマン性について、「モニュマンとは思い出させること、個人、人々、事件、観念の記憶を永遠化する役目をするものを指す」といわれた。
  この図録も、土方定一先生のいわれた彫刻のモニュマンであろう。
  わたくしは、宇部にある彫刻の一つ一つが在り場所を得て落ちつくことを望んでいる者の一人として、図録の出来る日を待望していた。この度、松代さんの美しい絵と、若い詩人の方たちの言葉と、飯田さん、田辺さんのカメラが、この仕事を完ペきなものにして下さった。厚くお礼を申しあげたい。
  36年前に、瓦礫をとり除きながら、その跡に建設するユートピアを夢見ていた宇部市民の願いが、いま、目の前に、形と色になって写し出されたのである。この美しい環境を舞台にして、演じられた人間ドラマを思い出す人もあるであろう。町は、市民みんなのものであることを思いあわせながら。
  昭和56年10月