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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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チャドウィック・アーミテージ彫刻展
リン・チャドウィック 不安の幾何学といわれる彫刻

著者名:土方 定一


  もう、ずいぶん以前のことである。ローマの市立近代美術館の新しく購入した作品の展示室に入って、そこに小さな――半メートルにも足りない――黒く着色されたブロンズの「出会い」というチャドウィックの彫刻を前にしたとき、ぼくは、この彫刻の形のもっている、はげしく対立しながら結合されている緊張に一瞬、縛りつけられたような衝撃をうけてしまった。まあ、それ以後、縛りつづけられっぱなしであるが、鳥と人間との二重像のような二つの形の奇妙な結合であり、その形は鳥とか人間ということで普通に想像されるような肉づきのいい伝統的な形でなく、三角形の緊密な機械的な、いってみれば非鳥的な非人間的な形、というより象徴的な形となっている。それが下部の方で結合しながら、結合というようなものでなく、のけぞりかえったように背反し対立しながらつくっている背反した二つの力の結合からくる緊張である。この「出会い」の場合は、絶望とエクスタシーとがひとつになったような緊張であり、また、どこかの未開民族の咒術師の踊りの最後の場面のように高潮した緊張であった。
  人間が先史時代からつくった彫刻を顧みると、彫刻の本質的な造形要素として、動きからくる千差万別の緊張感をもっている。だが、それらの多くは彫刻の量塊の内部的に充実した彫刻構築からくる千差万別の緊張感であるが、チャドウィックの彫刻は、そういう彫刻構築の伝統とはなんの関係もなく、空間のなかに建築のように構築され、それがいつの間にか鳥、動物、また人間との二重像の動物、昆虫形態となってしまっている。チャドウィックがアンティ=彫刻と呼ばれたり、機能的な彫刻と呼ばれたり、また不安の幾何学と呼ばれたりする理由は、こういうところにあるにちがいない。その後、アントワープの野外彫刻展で、チャドウィックの回顧展を見たりしているうちに、チャドウィックのなかの空間彫刻が、どうして誕生したかを、いろいろ考えていた。
  チャドウィックが彫刻家として出発する前のチャドウィックの生活が、まず第一にチャドウィックの空間彫刻の性格を規定している。1914年11月24日にロンドン、バーンズに生れたチャドウィックはマーチャント・テイラー建築学校を卒業し、1933年から1939年にかけてロンドンのあちこちの建築事務所で建築製図家として生活していた。1941年にニューヨーク、デトロイトを訪れているが、その年から44年までイギリス海軍航空隊のパイロットとして勤務することになっている。除隊後、しばらく建築事務所の製図をつづけていたが、フリーランスのグラフィック・デザイナーとなり、また一時、家具のデザイナーとなっていた。1946年にアッシャー繊維工場がスポンサーとなって募集したデザイン・コンクールに入賞し、その後、同工場と1年に10点のデザインを提供する契約をし、生活経済を安定してから、彫刻をつくりはじめている。
  チャドウィックの空間彫刻が建築家として、また航空隊のパイロットとしての直接経験から出発した彫刻映像をもったことである。ここで建築といっても骨組だけの建築であり、それは大きな空間を支配し、鉄骨のうえにセメントをぶっつけた機能的でダイナミックな空間構成である。チャドウィックの彫刻は、はじめに棒鉄で骨組がつけられ、それにセメントがつけられる代りに、棒鉄と石膏とが、いわば壁面のようにつけられているのが原型であって、それが鉄、またはブロンズに鋳られているが、そういう過程のなかで、どこにも伝統的な彫刻の肉づけというものは見られないし、アーミテージとちがって、そういう伝統的教育を知らない、そして、この骨組だけの空間彫刻は、チャドウィックの彫刻のはじめに、1951年の2メートル強の「魚をくらう奴」の、飛行機のように、空間のなかで動くモービル彫刻となっている。この作品を、ぼくはみていないが、多くの批評家のいうように、アレクサンダー・コールダーのモービル彫刻からの暗示によっているであろうし、技術的に、またディテールまで、コールダーの影響が見られるが、コールダーのモービルが植物の聯想、天井からぶらさがっている聯想から離れられないが、チャドウィックのモービル彫刻は植物といった聯想はなく、鳥とか昆虫に似ているといっていい。コールダーのモービル彫刻は、白い壁面で閉された室内の方が効果的で、そこでは樹枝、樹葉を聯想させるものの運動が白い壁面にかこまれた空間を豊かに変化づけている。が、パリ、ユネスコ本部の屋外のコールダーのモービル彫刻となると、あわれな1本の樹木の聯想を出ない。同じように、動く彫刻といっても、2人の間の生活経験の発想のちがいが興味深く現われているといっていいようだ。
  「魚をくらう奴」といっても、大きな、とがった口を開けて、大、小の魚をくわえこんでいるように見えるが、どういう動物かわからない。わからないが、大、小さまざまな形のバランス、動き、調和の、いわば機能的な構成が、いつも、鳥、動物、また人間と二重像になりながら、直接的な緊張感、あるいは、生命感にみちていることである。翼竜のような、といわれたり、またときにチャドウィック自身が標題として附けている「動物形態的、また生物形態的」といわれたりする理由であろう。
  そして、チャドウィックのその後の展開のなかで、農具と昆虫との二重映像のような「大麦用熊手」(1952年)、「喰いつこうとしている海亀」(1953-54年)、「内部の眼」(1952年)などの重要な作品を経て、チャドウィックの彫刻として一般に知られている鳥のような形、狼のような動物、さまざまな昆虫のような形、また最近の「異邦人」、「監視者」のような人間像となっている。近代建築の機能主義という意味で、機能的でありながら、この作家の二重映像の創造世界のなかで、いつの間にか、直接的な緊張感と生命感にみちた造形構築になってしまっている。
  チャドウィックの形は、曲線よりも直線が偏愛されている。すでに述べたように、3本か4本の竹馬の足をもったような鳥、昆虫、動物、人間たちは、そのうえを、まっすぐな棒鉄で次から次へと骨組を1本、1本、計画的に熔接してゆくので、その結果、三角形、菱形、四角形が現われ、全体として結晶体、また四面体となっている。そして、そのひとつひとつの形の面は1954年以後、石膏でうずめたり鉄でうずめたりしているが、棒鉄がつくる面の韻律的な表現的な効果は葉脈、また耕作された畑の条溝のような効果を示すために、骨組の棒鉄を見せている場合があり、この棒鉄のパターンはチャドウィックの彫刻の面の重要な要素となっている。チャドウィックは、次のようにいっている、「私は、こういう技術が与える性格を強調する。そこには限定があるが、限定からつくられた性格を大切にする。......作家は、その手段がどういう手段であれ、作家が制作する方法に対して、感情をもつことが必要だと思う。わたしのつくる鉄の形が、使っている材料の論理的表現であったと思われるような一種の有機的なリアリティをもつなら、わたしはうれしい。そうでなかったら、私の作品に生命感など期待できない。」これまで、ぼくが機能的でありながら動物生命のような造形的な緊張感に変身する、などといっている背後のチャドウイツクの、冷たく計算されながら、いつの間にか変身する方法を、ここにみられるにちがいない。
  チャドウィックは、さらにこの過程について、次のように語っている。「といって、私は私の作品を知的に分析したりしない。私は仕事をはじめたときに、私がなにをしたいかを感ずるまで待っている。私は、韻律的な衝動をもって仕事をしているか、なしで仕事をしているかがわかる。潜在意識下の源泉からいろいろな観念をひきだす能力を分析しようとすることは、いつでもこの能力を妨げることになる」。一方では棒鉄によって空間彫刻を徹底的に計算して組みたてながら、他方に、いつも無意識の発想が眼覚めて歩きだすチャドウィックの制作過程を、以上の言葉は興味深く語っている。そういう意味では、チャドウィックの制作程過のなかで、テーマがさきにあるのか、棒鉄による空間構成の純粋に形式的な面白さがさきにあるのか、わからない。制作する前に、完全な映像としてのテーマがあり、そのテーマに形を与えてゆくというのでなく、次々と棒鉄を組みたててゆくうちにテーマも展開してゆくという過程である。この1ヵ月ばかり、パウル・クレーの『造型思考』のところどころを必要があって翻訳しているぼくは、そのせいもあって、チャドウィックのこの製作過程、純粋に形式的な彫刻的要素の展開がいつの間にか、ある象徴的な形をつくってゆく製作過程は、まったく、パウル・クレーの製作過程と一致していることを思わせる。パウル・クレーが線のもっている純粋に造形的な機能を徹底的に展開しながら、それがいつのまにかパウル・クレーの象徴的な形をつくっているのと同じように、チャドウィックが棒鉄という材料のもっている純粋に彫刻的な機能を徹底的に展開しながら、これまた象徴的な形をつくっていることである。そして、『造型思考』のなかでパウル・クレーが線のこの純粋に造形的な機能を述べている個所は、チャドウィックの制作過程を深い同精神的一致のなかで明らかにしている、といっていいほどである。もちろん、パウル・クレーがこのイギリスの若い彫刻家のことを知っているはずはなく、ここで、ぼくのいいたいのは、この2人の作家の制作過程と世界の親和のことである。
  チャドウィックの彫刻の標題を見ると、初期にはいろいろな標題がつけられているが、その後は、「無名の政治囚の記念像のためのモデル」(1954年)、「岩」(1955年)、「四季」(1956年)などの外は、野獣、川会い、踊り、ボーイと娘、異邦人、監視人、という僅かな標題に限られている。この標題は、もちろん、製作された後につけられているものであるが、これらの標題の彫刻がチャドウィックのなかのそのときどきの形式的な面白さから、次々と制作されている。そして、野獣はともかくとして、出会い、踊り、異邦人といったところで、たけだけしい狼のような野獣、馬とか昆虫のようなものと人間との二重像となっていることである。これらの野獣、鳥たちの二重像は、敵に向ってとびかかってゆく野獣、敵から逃げる野獣、たたきのめされて地上に横たわっている野獣、突然な緊張のなかにいる野獣、鷲のように飛翔しようとしている鳥、また抱擁しようとし、離れようとしている鳥であり、それらは、幾何学を思わせる抽象的で緊密な構造の一瞬の緊張のなかにある。「魚をくらう奴」以来、チャドウィックの彫刻は、チャドウィックのなかに潜在する生存の、そのときどきの不安の感情に、原始彫刻に見られるような 直接的な造形的意味を与えている。とすべての批評家がいっている理由であろう。その造形的意味は、この一瞬の緊張のなかで、原始彫刻の原型のもつ形となっている、と。最近では、もうきまり文句になっているようなこの評価に、ぼくは反対ではなく、実感をもって賛成するものである。
  今度の展示では、1957年以後の「野獣」、「鳥」、「異邦人」、「三角の人」などのシリーズの小品彫刻であって、近作(1961年)を多く紹介している。そのために、それ以前のチャドウィックの彫刻を知っておられる方は、近作の「異邦人」、「監視人」のなかに、チャドウィックのその後の展開を興味深く見られるにちがいない。社会から疎外された孤独な存在のような彼らは、原始的神話の人物のように、荒廃した世界のなかにモニュメンタルな大きな姿となって聳立している。3本の竹馬のような足と四角な首をもち、鉄棒によって組みたてられ、そこに石膏が加えられたチャドウィックの彫刻は、これらの荒々しい面の魅惑を加えて、われわれを縛りつける。