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ときわミュージアム UBE Tokiwa Museum 緑と花と彫刻の博物館

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UBEビエンナーレとは

日本の彫刻界をリード&新進作家の登竜門

 宇部市の野外彫刻展は、日本のまちづくり(都市論)だけではなく、美術界にも大きな影響を与え、戦後の日本を対象にした多くの美術解説書で、この展覧会の歴史的意義が語られています。それは最初の野外彫刻展という先見性に加え、抽象彫刻(50年代~60年代初頭)、環境芸術(60年代半ば)、もの派(60年代末~70年代初頭)などの美術史的エポックに場を提供してきたこと、また現在も、新たな可能性を含んでいることに由来します。

 特に、1960年代前半は日本の彫刻そのものだけでなく、彫刻を取り巻く環境が大きく変化した時代でもあり、彫刻史的にも重要な時代と位置づけられています。その中で、野外彫刻という、その後に大きな潮流となるスタイルを創出したことに対して、高い評価を得ています。

 日本の抽象彫刻は戦前にいくつかの実験が試みられたものの、戦時中に途絶え、戦後に欧米の動向が紹介されるようになって、少しずつ展開を見せてきました。ただでさえ、絵画に比べて彫刻の発表機会が少なかった当時に、前衛的な志向を持つ彫刻家の数少ない発表の場として、大きな期待を集めていました。

 その中でも、1962年に「宇部をテーマとした彫刻」として制作された向井良吉氏の『蟻の城』は、当時、日本最大の抽象彫刻として大きく取り上げられることになりました。一般に難解だといわれる抽象彫刻ですが、この作品は当初から変わらず展覧会場の中心に位置し、現在でも、市民に最もよく親しまれ、彫刻のまち宇部のシンボルになっています。

・向井良吉「蟻の城」1962年
向井良吉「蟻の城」1962年

一方、近年は近代的な彫刻概念を離れ、展示場所の固有性を開示する(その場所だけで意味や価値を持つ)傾向が強くなり、野外彫刻はそのモチーフの一つに数えられます。野外では太陽光や風などの自然環境に加え、場所の歴史性、あるいは美術鑑賞に限定されない多くの人とのコミュニケーションが不可避的に備わるため、それらとの関係を彫刻の中でどう解釈するかが問われるようになっています。

 第18回展(1999年)で大賞を受賞した國安孝昌さんの『湖水の竜神』は、三週間におよぶ現地制作を行い、すぐそばの湖に棲んでいる(かもしれない)竜を出現させました。こうして、常盤湖が江戸時代に灌漑用につくられた際の人々の農耕に対する思いや、近代化の中で工業用水に転換されるといった歴史を浮き上がらせています。

・國安孝昌「湖水の竜神」1999年
 第18回現代日本彫刻展 大賞(現在は撤去済)

國安孝昌「湖水の竜神」1999年

 40年以上に及ぶ歴史の中で、この展覧会には数多くの著名な彫刻家が名を連ねています。柳原義達さん、佐藤忠良さん、舟越保武さんなどの具象彫刻の大家が参加する一方で、新しい彫刻の方向性を探る若い作家を積極的に取り上げることを主眼としています。第5回展(1973年)からは公募部門が創設され、「新人作家の登竜門」としての性格が明確に打ち出されました。

・竹腰耕平「宇部の木」2015年
 第26回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)大賞(宇部市賞)

竹腰耕平「宇部の木」2015年

 ここからは、後にさまざまな美術賞を受ける作家や、日本だけでなく、海外を拠点に活動する彫刻家も多く輩出しています。同時に、画家、版画家、工芸家、建築家、デザイナーなどの参加もあり、それぞれの視点からの彫刻の可能性が追求されました。さらに美術界の視線が東京中心に偏りやすい中で、地方在住の作家にもスポットを当てることになり、日本の彫刻家の層を厚くすることに貢献しているのも、UBEビエンナーレの特徴の一つです。

 また、現代日本彫刻展が戦後美術史の一端を担うようになった理由として、著名な運営委員・選考委員の存在も忘れてはなりません。特に、初代の運営委員長を務めていただいた土方定一さんの情熱によって、日本を代表する美術評論家、彫刻家、建築家が集結したことは、その後の展覧会の充実・発展に多大な影響を与えました。宇部市では、その功績を称え、第10回展から10回ごとに「土方定一記念特別賞」を設けることとしています。