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ときわ公園

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石炭産業によって飛躍的な発展を遂げた炭都・宇部。永年にわたって宇部発展の基盤となった石炭産業を後世に伝えようと地元政財界と多くの市民の寄付によって石炭記念館は開館しました。3,000点を超える収蔵品は2007年度(平成19年度)に経済産業省の近代化産業遺産に選ばれています。また、地上37メートル、海抜65メートルの展望台からは常盤湖やときわ公園はもちろん、市街地や瀬戸内海を望むことができます。

みどころ

日本で初めて誕生した石炭記念館

当時の採掘写真完成当時の石炭記念館

宇部市はかつて石炭によって栄え、最盛期の1940(昭和15)年には、年間約430万トンの石炭が掘り出されていましたが、昭和30年代に起こったエネルギー革命により1967(昭和42)年を最後に市内の炭鉱はすべて閉山しました。やがてその石炭のもたらした多大な恩恵に感謝し、幾多の貴重な文献や機材を整備して石炭産業を永く後世に伝えようと、県、市および石炭関係者をはじめ、多くの市民の寄付金によって、閉山から2年後の1969(昭和44)年11月1日、宇部炭田発祥の地である常盤湖畔に、全国に先がけて石炭記念館は開館しました。

竪坑櫓を移設して作られた展望台

展望台からの写真

石炭記念館のシンボルである櫓は、かつて宇部興産株式会社東見初炭鉱で閉山まで活躍した竪坑櫓(たてこうやぐら=坑夫を昇降させ石炭を搬出する施設)を移設して、さらにエレベーターを設置して展望台としたものです。眼下に広がる常盤湖や宇部の町並み、瀬戸内海を一望できるほか、ときには九州、四国の山々まで望むことができ、また、山口宇部空港に離発着する飛行機を楽しむことができます。

海底炭坑の様子を伝えるモデル坑道

モデル坑道の写真1 モデル坑道の写真2

モデル坑道は開館の翌年である1970(昭和45)年に完成しました。昭和30年代の宇部の海底炭坑の採掘現場を中心に、さまざまな坑道支保や坑道のつくりが再現されており、坑内の様子を体験することができる施設です。

当時の人たちの生活がわかる炭鉱住宅

鉱員たちが暮らしていた炭鉱住宅は略して“炭住”と呼ばれていました。1棟が5軒ほどに区切られた長屋で、1軒の広さは時代により多少異なりますが、6畳と4畳半の部屋と簡素な調理場があり、トイレやお風呂は共同でした。その1軒に3~4人くらいの家族で生活していたといいます。石炭記念館では、昭和11年ごろの宇部の炭住を3分の2のサイズで復元しており、当時の人たちの暮らしぶりが伝わってきます。

実際に使われた大型機械たちが並ぶ姿が圧巻の屋外展示場

石炭記念館の屋外には、現在、展望台となっている竪坑櫓の上部に据え付けていた矢弦車のほか、宇部市の隣にある山口県美祢市にあった山陽無煙鉱業所の水平坑道で使われた人車や坑内石炭運搬車、明治の中ごろから大正、昭和にかけて蒸気機械の原動力として使用されていたランカシャーボイラーや巻き上げ機などを石炭の採炭や運搬に活躍した大型機械類を展示しています。

D51 18号

D51 18号の写真

昭和の37年から47年頃、日本は高度成長期と言われ、工業などで使用するエネルギーが安価で安定的に供給することができるということから、石炭から石油へ転換していく所謂エネルギー革命の中で、宇部市においても昭和41年に沖の山や東見初炭鉱等が閉山し、宇部市の石炭産業がその歴史を閉じることとなった。ときわ公園の石炭記念館は昭和44年に本市の炭鉱に代表される石炭産業の功績を記念して建設されたもので、展望台の材料には当時の炭鉱で実際に使用されていた立坑櫓の鋼材を使用している。 また、同様に、国のエネルギー政策の転換に伴い、国鉄においても、列車の動力が石炭からディーゼル(石油)、電気へと変わっていき、昭和50年には国内の鉄道からSLが全面的に姿を消すことが決まっていた。 そして、現役を引退する蒸気機関車(SL)を社会教育の目的に供する場合に限り地方公共団体等に無償で貸与を行うこととしていた。 こうした状況の中で宇部市では、当時の教育委員会において、宇部市発展のもととなった石炭を燃料として走る蒸気機関車を是非宇部市にも設置したいということで、昭和47年6月に、当時の青少年課の青少年問題協議会の場で、市内小中学校、PTA、子供会、婦人会、宇部時報、ウベニチなどをメンバーとして、「D51蒸気機関車設置推進委員会」を立ち上げ、

  1. デゴイチの設置費用の一部を市民による募金で賄う
  2. 設置場所は、日本でも珍しい石炭産業を記念して建設された石炭記念館の前にする。
  3. 宇部市の産業発展の歴史を記念し、児童生徒の良き教材として活用する

という方針のもと、市をあげて設置運動を盛り上げ、この場所への設置に至ったということであります。 当初予想されるデゴイチの輸送費用が高額で困難かとも思われていたが、現在の㈱東亜自動車の福島源作氏の協力で約半額の経費で輸送できることとなり、大変助かったとの話が残っている。